水玉小屋

2012年、アイドル〜ハロプロにはまってもろもろ。

恋とラブソング

行き場なく燃え残った恋心をなぐさめるために、最近はもっぱら種々のラブソングを聴いている。相手はアイドルだけれど、やってることは一般的な恋と変わりない。

ただ、この行為をもって、やっぱり佐紀ちゃんを思う気持ちは恋なんだなあと思うのである。というのも、これまではアイドルを思って音楽(特にラブソングめいたもの)に感情移入できたことはなかったからだ。

一時期、ちゃゆ(道重さゆみ)への信仰心というか、崇拝というか、そういう讃美の気持ちを発散させたくて、それに見合った曲は無いかと探していたことがある。ただ、自分が知っているどの曲も、どこかでほんのわずか、恋愛感情のようなものが入り混じっていて、感情移入できなかった。

だーいし(石田亜佑美)やまーちゃん(佐藤優樹)は言わずもがなである。歌詞の主人公を、彼女たちの親に設定すれば、また違った景色に見ることはできるけれど。

佐紀ちゃんの話に戻ると、3月4日以降はほとんどの悲恋歌に感情移入できるほど心のレセプターがガバガバになってしまっていた。一つ一つの歌詞に意味を与えて、過去の光景を当てはめて、終わらないマスターベーションを繰り返していた。

そんな折、3月29日のひなフェスで、約3週間ぶりに佐紀ちゃんを肉眼で見ることができた。そして、改めて好きだなあ、という思いとともに、歩き出さないとな、という気持ちになった。そうすると、感情移入できる曲も、悲恋の歌から過去を惜しみつつも少し明るい曲になっていった。

我ながら安直だ。

そして今、ようやく「ああ、この曲だ」と思えた曲がある。L'Arc~en~Cielの『瞳の住人』。

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曲を聴いている時に、どこで一番胸を打つかで、今の自分の気持ちがわかる。これは、自分でも意外だったんだけど、一番感情が昂ぶるのはこの歌詞の時だ。

そばにいて ずっと君の笑顔を見つめていたい
移りゆく瞬間の その瞳に住んでいたい
いつの日か 鮮やかな季節へと連れ出せたら
雪のように空に舞う 花のもとへ

一行目は、あまねく全てのオタが願う気持ちそのままである。二行目には、相手にも一人の人間として見られたいというガチ恋の闇が現れている。

ここまでは自分でも既知の感情だったんだけど、問題は三行目である。この部分を聴いた時に、「ああ、そうだなあ、本当にそうだ」と思った。"鮮やかな季節へ連れ出す"というのは、表舞台へ連れ出すことに他ならない。そうなのだ、なんとかして佐紀ちゃんを表舞台に引っ張り出したい。そしてまた、歌やダンスや演技を見たい。

それが叶うなら、ガチ恋なんてどうでもいいのかも知れない。それを思うと、この感情はただの疑似恋愛で、ガチ恋でもなんでもないのだろうか。

自分にできることはなんだろう。「今もまだ、待ってるファンはたくさんいる」と、本人や事務所に伝え続けることだろうか。それ以外、今は思い浮かばないけれど、何かできるといい。自分が何かをしたいと思う、これはやっぱり恋なんだなあ。